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2019年11月26日火曜日

ラファエル前派の軌跡展


あべのハルカス美術館

展覧会1枚目のターナーから魅入られる。
なんて美しく悲しい絵なんだろう。
二十歳の頃にターナー展に行ったときのことを思い出したよ。
一人で行ったけど、数日後に同じように鑑賞してきたという友だちと絵についておしゃべりした記憶。
彼女が「小さなイルカがたくさん描かかれた絵が好きだった」って言ったことを覚えてる。
彼女はいまどうしてるんだろう?
思えばあの頃はとても感性知性豊かな人たちと接していた気がする。
今よりずっと・・・。
・・・ということは私自身が劣化してるということか・・・

もとい、
たくさんの小さな習作の線一本一本に画家のリアルを見て心がざわつき、
ロセッティの描くジェーン・モリスがモデルの眼に恐怖を感じ、
イギリスの子どもたちの紅い頬っぺたに私の頬っぺたも緩んだ。

最後の部屋の工芸品たちに、中之島でやってる別の美術展への欲求を誘われ、
出口にあるたくさんの美術展のチラシに眼を奪われた。
今回のを含めて、最近の美術展のチラシはなんて魅力的なんでしょう。

そして、ウィリアム・モリスのペーパーブックを全部買占めたい欲望を抑えつつ預けた荷物をピックアップ。
欲しいものは後先考えず全て手に入れていた若い頃をこれまた懐かしみつつ。

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少し前に名古屋であった[表現の不自由展]っていうのがニュースになってたけど・・・
IMO…表現の自由っていうのは、表現する"テーマ"は自由だよっていうことじゃないかと思うよ。
どんなことに対しても、自分の考えを表現/表明するのに制限は受けないよって。
でもだからといって "どんな手段でもいい" っていうワケじゃない。
「これが自分の表現方法だ!」って言っても
殺しちゃいけないし、暴力をふるっちゃいけないし、侮辱しちゃいけないし、誹謗中傷しちゃいけないし、盗っちゃいけないし、騙しちゃいけないし、傷つけちゃいけないし(心も物も)・・・ここまではぜったいしちゃいけないこと。

そして大人としては
マナーを守って、どんな人も尊重(異なる意見の人も。例えばテーマとする対象人物に対しても)する姿勢がとてもだいじだと思う。

加えて、プロの表現者(芸術家)としては
繊細さと深みがほしい。

私が酷いと思ったのは昭和天皇を題材にしたもの。
特定の個人を(故人でも)直接的表現で侮辱し攻撃するのは間違ってる。
ご家族(皇室の方々)のこともみんな知ってる。
20代の女性(内親王の方々)や中高校生の親族(親王と内親王)も、ニュースでご存知だろう。
これは、表現じゃなくて単なる"暴力"。

テレビで見た鑑賞者と芸術家の討論会では双方ともにお互いの言葉を理解しようとして聴いている様子や、言葉を選んで丁寧に発言しているのがよくわかった。
これはお互いを尊重しマナーに則った言論表現。
でも実際の作品は対象を尊重しているようには思えない。
ただ暴力的。

「作品にはいろんな見方がある」っていう製作者の発言があったけど・・・
[慰安婦像]の作品は見る人によっていろんな見方があるだろうとは思う。
でも昭和天皇を題材にした作品にそれはある??

私の音楽の先生は「表現の幅を広げる」って言う言葉をよく使わはるよ。
ただ大きい音を出せば/小さい音にすればいいっていうワケじゃない。
ただ明るい音/暗い音を出せばいいワケじゃない。

暗いけど前向き。明るいのに悲しい。

人はみんな表現者。芸術家はそのプロ。
プロの繊細さと深みを見せて!