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2015年12月30日水曜日

桐島、部活やめるってよ

テレビの録画

んー、良かった!
こんなに良いと思わなかった!
始まってすぐ「高校生の青春モノ観てもなぁ…もうちょっと観て面白くなかったらやめよう」って思ってたんだけど、同じ出来事をそれぞれの視点で何回も映してることに気がついたらやめられなくなって。
余白とか行間がいっぱいあって。
そういうのって観る人によって感じ方が違うことがあるように思うんだけど、この映画ではきっとみんな同じことを想像できる。
これってなんかすごいなあ。
なんにも説明してないのにみんな同じように理解する。
「観客が自由に感じて頂ければ」・・・なんて言う芸術家よりなんかすごい。

原作があるって知って漫画かなと思ったら小説なんだね。
映画ならでは、な感じを堪能したから本はいいかな…
でも、一度聞いたら忘れられないタイトルはすごい!

2015年12月27日日曜日

モナコ公国モンテカルロ・バレエ団 LAC~白鳥の湖~

テレビの録画。

2013年に録ったものだそう。
ところどころプロジェクションマッピングも。
録るためのステージなのかお客さんが入っていたのか?
俯瞰するカメラだけじゃなくていろんな角度からの映像が面白い。
大きなホールで遠い客席から観てるときには分からないダンサーの筋肉の動きや筋が見えて興味深い。

前半の白っぽい背景ににカラフルな衣装の舞台は80年代モード風…って感じたけど、どうかな。

白鳥の湖は確か20代の頃に“古典通りの演出”のものを観たきり。
建て替え前のシンフォニーホールで、ロシアの有名バレエ団だったと思うけど、どこだったか…

憶えているのは、白鳥のあまりの儚さと繊細さに胸が震えたこと。
そして黒鳥の妖艶さは可憐でもあって、わたしは白鳥より黒鳥の方がずっと好きだ!魅力的だ!って思ったこと。

今回観たのは超現代的演出で、わたしもずいぶん年齢を重ねたけど、物語や登場人物に対する思いは変わらなかった。
ああ、おとぎの国の乙女たちよ、問題が起こったら自分で立ち向かえ!自ら状況を切り開け!考えろ!行動しろ!
王子様が現れるのを待って、自分の運命を人に縋るな!

今回も黒鳥の方がずっと魅力的に思えた。
生き生きしてて明るい。透けた衣装から見える太ももからお尻の筋肉が力強い。

まあ、黒鳥も母親に煽られてるんだけど。

でもわたしには一番の悪役の母親も魅力的に見えるなあ。
他人には悪い魔法使いだけど自分の娘を思ってる。
震えてるだけの白鳥よりずっと興味深く魅力的。
王子様はじめ、男や権力を手玉に取っちゃうし。

おとぎ話に対するこういう考え方は昔から女性学の人たちが言ったはるけど、そういう人たちってたいていあんまり若くない。
発言するのはエラい先生たちだからそうなのかもしれないけど。
わたしもそういう年齢ってことか。
こういうことは年取らないとわからないのか。

とりあえず黒鳥ちゃん。
今回の恋は成就しなかったけど次はお母さんに言われたようにやるんじゃなくて、自分のやり方でやってみてね。
あなたは素敵だからきっと大丈夫。


2015年12月19日土曜日

ANNA&Jarre クリスマスコンサート



ハービスPLAZA ENT 3F バルコニー

家を出て駅のホームで電車を待ってる時に予定キャンセルの連絡に気がついて…
どうしようかと思ったけど、ハービスでイベントをやってるのを知ってたからとりあえず電車に乗って。
キャンセルになったことがなかなかショック。
重力に従順な心と顔の筋肉。
自分でも持て余すどんより具合。

ハービスの特設ステージの横にあるカフェで仲良さそうなカップルや、日本版セックスアンドシティだなっていう感じの4人組をぼんやり眺めながら通路のベンチに着席。
楽しくてノリノリなクリスマスソングも耳を素通り。
CD聴いてるのと一緒だな…って思ってたけど…
だんだん増えてくるお客さんたちに向かって指さしながら歌ってる歌手を見てたら
「あ、人に向かって歌ってる…」

端っこで多分ステージからは見えない所にいた私とは目が合うこともなく指さされることもなかったけど、「あー、人に向かって歌ってるんだ」って思ったら”直接わたし”にじゃなくてもなんだかちょっとうれしくなった。
向き合ってくれてるって感じるのはうれしいね。

外に出て冷たい空気に当たったらちょっとシャッキリ。
サラダと白いカーネーションを買って帰りました。

それにしても悲しい出来事のあと年末の街を歩くのは寂しいね。
下の写真はハービスの入り口。
キラキラのクリスマスツリーじゃなくてこういうのに目が行くなんて初めての12月。

家に帰ってから録画してた音楽番組を観てたら、スノーマンか布袋さんかっていう感じの女性ピアニスト。
これはいかん。いろいろ正さねば。あれこれ我が身を省みる。なんだか年末っぽい。





2015年12月18日金曜日

第61回癒しの音楽塙美里クリスマスコンサート


大阪ガス本社 ガスビル 3Fホール
チャリティコンサートです。

ウワサの塙さんのコンサート、初めて来ました。
会場に着いたとたん思い出した。
5年ほど前にもここでコンサートを聴いたんです。
芸大生のサクソフォンカルテット。
お客さんがする手拍子にとまどって始められない奏者…「手拍子は裏拍でお願いします」…
ともあれ、まったく響きのない会場で後ろの方だと聴こえない音がたくさんあったのを思い出した。
できるだけ前の方にと思ったんだけど、開演10分前の座席はほぼ満席。
ちょうど真ん中あたりに座りました。

開演。
響きのない部屋で聴こえる音はまさに生音。なんてシビア。そしてそれが素晴らしい。
ものすごくコントロールしてるんだろうっていうのが分かる気がする。
ピアノもそれに合わせて抑えて弾いたはるのかな、音色を作ったはる感じがする…と思って前の人の背中の隙間から見るとなんとアップライトピアノでした。
響きのない部屋の中、アップライトのピアノでヴィオラソナタにバイオリンソナタ。
サクソフォンもピアノもどちらもすごくコントロールして演奏してる感じ。
響きに音楽を任せて演奏してるのとは違う、なんていうか…真摯…ちょっと違うな…言葉が浮かばない。
もちろん、わたしが勝手に思ったことだから本当のところは分からないけど、こういうのを聴けて良かったと思いました。

出演はピアノ、サクソフォン、バイオリン。
プログラムを見て前半はバイオリン、後半がサクソフォンなんだろうと思ってました。
ところがところが!逆!
フランクのバイオリンソナタは全楽章やってくれはった。
なんて貴重な機会。
アンコールはドボルザークのユーモレスク。

クリスマスの曲はひとつもしないクリスマスコンサートは、どの曲も美しくて、洗練されて、大人で、都会的なプログラムのクリスマスコンサートでした。



2015年12月17日木曜日

007 Skyfall

テレビの録画。

あれ?面白くなかった…
最後の方で、よし!戦うぞっていう時に007のテーマ曲が流れてきたときは「おっ!」ってテンション上がったけど。

きれいな女スパイがもっと色っぽくボンドと一緒に活躍するのがいいなあ。
わたし、むかしボンドガールとかチャーリーズエンジェルに憧れてたの。
年月を経たいま、目指すべきは“М”か!?
いや…やめとこ。

2015年12月13日日曜日

Benvenuto Cellini(ベンヴェヌート・チェッリーニ)

場所はネーデルランド・オペラ。
テリー・ギリアム演出。マーク・エルダー指揮、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団。
テレビの録画で。

面白かった!
酒場での粗野なシーンが男声合唱が聴こえるとイヤな感じじゃなくなる。
この辺りから俄然おもしろくなってきて、サーカス団のダンサー達の踊りも愉快。
バレエの人たちと違って女性ダンサーが細すぎないのも人間的で魅力的。

ローマ法王が頭に日輪を載せて平安時代の天皇みたいな衣装。
でも、装飾とお化粧は中国風。
俗悪・野卑な演出も、あと少し過激だったら目を背けるところだけど、なぜか観てられる。
どうしてかな?これがギリギリのところなのかな?ギリギリ加減がいいのかな?
いや、充分イッちゃってる気もするけど。

いいなあって思ったのは、アスカーニオ役のミシェル・ロジエ。
宝塚の男役みたい。
女性が演じる男性ほど魅力的なものはないね。

舞台ものは生で観るに限る。それもいい席で。そうじゃなきゃ行かない。
って思ってたけど、テレビでもこんなに楽しいんだから、来年はライブビューイングを観にってみようかな。


2015年12月10日木曜日

Ben-Hur

邦題:ベン・ハー
テレビの録画。
1959年のチャールトン・ヘストン版。
4時間もある!って思ったけど観だしたらあっとういう間。
元は小説だったとか。観る前に読んでみたかった。
少し前に読んだ本 “クレオパトラ” でよく出てきた “ガレー船”。
クレオパトラの本ではとても優雅で豪奢な体に書かれていて、櫂が4段もある舟が出てきてたけど、その櫂は奴隷の過酷な労働によって漕がれていたのね。
簡単に想像できそうな事なのに、映画を観るまで気がつかなかった。
そして、戦車レースのシーン。
早送りしてるような感じだけど、手法の古さを感じるりスピード感に圧倒されてどきどき。
あんな戦車が出てくる映像は初めて観たかも。
ローマ神話やギリシャ神話が頭に浮かんで読みたくなる。
そしてヴィア・ドロローサ。
むかし行ったときの記憶では細い路地のイメージだけど、映画みたいにたくさんの人が集まってきてたのかな。
イスラエルはその時も広くたくさんの荒れ地があったけど、イエスの説法に集まった人たちは映画みたいな感じだったのかな。
私の中ではおとぎ話のようだった聖書の物語が、真実としてその場にあったように感じた若いときの旅を思い出しました。
いろんな事を知りたいね。人生は短くて貴重だね。


2015年12月8日火曜日

日本テレマン協会 第465回 マンスリーコンサート パブロ・エスカンデ・プレゼンツ リコーダーとバスで辿る イタリア・バロックの系譜



大阪倶楽部。
スペインづいてた最近だけど、やっぱりヴィヴァルディはいいわあ。

1曲目がなんだかわざとらしく感じて、我が身を振り返りつつどうしようかと思ったんだけど、2曲目からはそんな思いから解放されて音楽の世界へ。

ソプラニーノ・リコーダーって初めて聴きました。
曲も可愛くて楽しい。

4つもリコーダーの協奏曲を聴いたけど、邪気がなくて素朴で自然の中にあるような音のリコーダーにこれもまた自然な弦楽器のアンサンブル。
このリコーダーの音にはこの弦の音しかないんだろうなあっていう感じ。
リコーダーの音を邪魔しないで、でも厚みがあって華やかで。

今日はチェンバロの印象も変わりました。
コレッリのラフォリアでバイオリンとチェロとチェンバロのトリオ。
ああ、チェンバロは弦楽器なんだって実感。
もう二度と、チェンバロのことを“オモチャみたいな音のピアノ ”なんて思いません。
よく響くピチカートみたい・・・あれ?やっぱりまだ違うかな??

どんな音楽も好きだけど、わたしの中で古楽器とかヴィヴァルディは “ザ・音楽 ” だなあと改めて。
目を閉じてぼんやりと聴きながら、いまの自分を反省したり過去を後悔したり。
楽しい未来を想像したり、おとぎ話のような夢物語を作ってみたり。
ふっと懐かしい昔を思い出してうれしくなったり、これからのことに新しいアイデアを思いついたり。
いろんなところに心が飛びまわる。
目を閉じてるから眠たいような眠たくないような。
時々、ハッとするような音が聴こえてくるのもまた楽しい。
至福の時間。

              

2015年12月6日日曜日

谷本綾香 メゾソプラノリサイタル "España"

大阪大学会館

2日続けてスペイン!
オペラ歌手でもある人がスペイン歌曲を歌ってくれるっていう楽しさ。
どの曲も歌い上げる感じじゃなくて、客席にいる私たちに向かって歌ってくれた。
私たちにおしゃべりするように。
なんか嬉しかった。
「あー、彼女はいま楽しんだはるんやなあ」って思えてわたしも楽しい。

わたしは、自分の演奏を人に聴いてもらいたいって思ったことなくて。
今まで
「もうほんとすいません。私なんかが出てほんとごめんなさい。こんなもの聴かせてもうほんと・・・」
って感じで。
演奏する楽しさは感じたことあるけど、聴いてもらう嬉しさって知らないし、考えた事もない。

でも、今日みたいなのって素敵だなあって思った。
あんな風にしてみたいって。
きっと楽しい。

空調が壊れたらしくて演奏会のあいだじゅう暖房なし。
有形文化財の古い石の建物は冷えがしんしん。
陽の当たらない所でじっと座ってるのは外より寒かったかも。
身体が縮こまってるとリラックスして聴けない・・・
肩の出たドレスの歌手も、指先が冷えてただろうピアニストも大変だったんじゃないかなあ。
寒そうにしてる客席の人たちを舞台の上から見るのもとまどったんじゃないかなあ。
それでも、良かったと思わせてくれてなんて素晴らしい。
今度はベストコンディションの会場でも聴いてみたいな。




フラメンコの発表会

知人の発表会に行ってきました。
フラメンコは、昔々スペインから来はったのプロダンサーのショーを観て以来。

わたしにとってフラメンコはピッタリなタイミング!
楽器で1か月前からスペイン風の曲を練習してるんです。
インターネットで調べた細々とした知識では、フラメンコは人生を踊っているんだとか。
12拍子のリズムが基本でそれは人生なんだとか…

客席からも分かってる人たちはどんどん掛け声をかけたり手拍子をしたり。
わたしも見よう見真似で手拍子をしてみたりしたけどよくわからない…

でもステージはよかったなー!
指先まで神経が行き届いて、力のこもった眼。

振付を憶えるの大変だろうなあ。
あのリズムやリズムの中のアクセントはいったいどうやって憶えるんだろう?
たくさん曲を聴いたけど、全部同じような曲に聴こえたのはわたしの耳がおかしい?

60代以上の女性も多くて、みなさん魅力的。
なんだかわたし・・・やりたい!!

2015年12月4日金曜日

The Town

邦題:ザ・タウン

貧困と治安。
通りをひとつ隔てただけで雰囲気が変わる街。
何年も、場合によっては百年以上同じ雰囲気の街。
これは古今東西いつも。どこも。

ニュースで見聞きする事件も、ほんとのところは過激派でも民族や宗教の問題じゃない。
お金がないということ。その連鎖。

どんな生い立ちであれ、大人になったら自己責任。
でも子どものうちはできるだけ良い環境で過ごしてほしい。過ごすべき。
そう思って、毎月少しのお金を一人の外国の施設で暮らしている子どもに送ってます。
もう2年か3年か・・・もっとかな。
1年に1回、その子から手紙がくる。
わたしからの手紙は彼からの手紙への返事。ありきたりな短い言葉で。
書く言葉がなんにも思いつかないから。

他の人の場合は、文房具やらなんやらと送ったりすることがあるみたいなんだけど私はしたことない。
どうしてしないのか自分でもわからない。
優しい手紙や文房具をもらってる他の子どもたちと自分を比べて、わたしと繋がってる男の子はどう思ってるだろう。
悲しいを通り越して怒りを感じてるかもしれない。

インターネットでその施設の様子が見れるの。
いろんな行事があって楽しそうにしてる写真がいっぱい。
いろんなところからの寄付もいろいろあるみたいで、カッコイイ靴やカバンを持ってたり。
私が送るとしたら100円均一で買う文房具。
そんなものじゃたいして嬉しくないんじゃないかと思う気持ちがある。
私が送ってるほんの少しの現金は、必要なお金できっととても役に立ってるんだと思う。
でも100均の文房具はいらないかも…
結局、毎回同じ言葉の簡単なカードしか送ってない。

彼はイヤな思いをしてるんだろうか…
私はとんでもないニンゲンなんだろうか…

映画を観終わったあとにそんなことを思いました。
ベンアフレック、かっこよかった。