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2016年6月15日水曜日

Padre Padrone

邦題:父 パードレ・パドローネ

50年ほど前のイタリアのサルディーニャ島が舞台。
その頃はリゾート地じゃなかったのかな。
リゾート地だったとしても、そういう所は“田舎”なワケで。
都市と地方の経済格差は今よりもっと大きかっただろうし。
観光客が過ごす地域から離れると、華やかなリゾート地とは全く違う生活の場がある。

実話らしいけど、文盲だった人が二十歳を過ぎてから10年ほどの勉強で言語学者になっちゃうんだ…
もともと才能があった人なのか、人って努力すればそういう事が出来るのか…
そういう方面から見ると興味深いお話しだけど、私は貧しさを見るのがイヤ…
貧困とか暴力とか無知とか。考えるだけで眉間に皺が出る。

昔々、所謂バックパッカーなる事をしていた時、文化が違う人たちの生活に触れるのが面白くて、若さゆえの好奇心と無邪気さと正義感と無垢な考えで、貧しいということに嫌悪感なんて持たなかった。
むしろそういう人たちに好意を寄せている自分を自覚してた。

一変したのがボリビアの山々を壊れそうなバスで超えてたとき。
荒れ野に見える所が実は畑で数本のヒョロっとした草がどうやら作物のようで。
痩せ細って汚れた家畜を世話してる、同じように痩せて汚れた少年…いや老人?

そういう光景は見慣れてた筈なんだけど、なぜかそのとき私の心の中で何かが壊れた。
「もうやだ」「見たくない」
自分の心の変化にびっくり。
私はなんて事を考えるんだろうと。一番嫌いな差別的な人間じゃないかと。
でも、いやだという気持ちは抑えられずに逃げ出すように先を急いだ。

刺激がたくさんあった20代の旅でももう忘れてることの方が多い気がする。
そんな中でも、鮮明に記憶してるあの光景は、この映画のいろんなシーンとよく似てる。

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6月は楽器のお稽古をお休みしてます。
5月に3回の本番をやった“アストゥリアス”は7月と8月にまた舞台を予定してるけど、もうたくさんいろんな事を教えてもらったし。
教えてもらったこと、得たことをじっくり考える期間。
この曲から少し離れてみるのも有効な手段…と勝手に考えて、次の曲の練習を始めました。
ただ、7・8月には別の曲も予定していて…
私は一度にたくさんの曲を練習する事が出来ないので2、3年程前にやったことがある曲を選んで高をくくっていたら何だかあんまり出来ない…

新しい曲の練習をして。前にやった曲をさらい直して。
そしたらついこの間まで出来てた“アストゥリアス”が出来なくなってる…

7月になったら大勢での合奏の楽譜も届く予定…
すごく難しいに違いないんだけど、なんとしても仕上げたい!…たぶん一か月で…

曲に追われるのが何よりイヤで、そうならないように計画したつもりだったのに。
なんていうこと…

っていうか、私はずーっとおんなじコトをしてないと出来なくなっちゃうのかな…
一旦、出来るようになったら時間を空けても練習すればまた思い出せるんじゃないのかな…
ああ悲しい…