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2019年1月24日木曜日

Quartet


邦題:カルテット! 人生のオペラハウス

カルテットの四人よりその他大勢の音楽家たちに目がいく。
面倒な問題を抱えてるよりあっけらかんと音楽を楽しんでる人達の方が見てて気持ちいい。
・・・そういうことなんだ。すべて。

"サピエンス全史" で言われた 農業の発明は人が小麦の奴隷になったっていう意味の言葉を連想したよ。
私は音楽の奴隷になってないか?
私は楽器の奴隷になってないか?
私は過去の奴隷になってないか?

老いるということも含めて90分のコメディ映画を観ながらいろんな事が頭の中でグルグル。

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ニュースはどれも一番近い隣国との問題ばかり。
いや、他にもいろいろあるけど・・・

慰安婦問題や第二次大戦中に日本企業で働いていた人たちのことは私が小学生の頃から新聞に載ってたんじゃなかったっけ?。
何十年も前のこと。

字を追うだけの読み方だったけど定期的に繰り返されるニュースに「また!?」って思うようになったのはいつからだったかな。

あの国に行ったのは一度だけ。
21歳で初めての海外旅行が一番安いチケットの大韓航空で、そのトランジットでたしか二泊ほどソウルのYWCAに泊まったような気がする。

ソウルのデパートの1階化粧品売り場の店員さんたちの体の薄さにビックリ。
細いんじゃなくて薄いと思ったのは私がアメリカ帰りだったからかな?
みなさんキレイだったけど。

旅行のための知識ゼロだったからどこに行けばいいか分からなくてツーリストセンターみたいな所に行ったら日本の通産省(当時)の人と知り合って一緒に晩ごはん食べたなあ。
20代の人だったけどヤな感じって思った記憶がある。
数年後にテレビに出たはったのを見た時はのけぞったよ。
肩書きは [元通産省の大学講師] だったか。

もとい。

ガラガラに空いているソウルの博物館でぼんやり展示品を観てたらKBSって書いたテレビ局の人に声をかけられて展示ケースを観てる映像を撮られた。
あれは何の展示だったんだろう。覚えてない。たぶん当時も殆ど興味なかった気がする。
あの時、テレビ局の人は私が日本人だと知って声をかけはったのかな?
[かつて日本に奪い去られた物]なんていう展示じゃなかったことを祈るヨ。

1990年代前半の海外旅行先では自らを [ホンコニーズ] だって言う香港人はたまに会ったけどアジアからの若者には殆ど出会わなかった。
まあ日本人のオンナノコの一人旅もなかなか珍しかったけど。

それが1990年代後半のハワイでは新婚旅行の韓国人カップルに出合ったなあ。
美男美女でセレブっぽかったけど。

2000年代半ばになるとIT系の職場で韓国からの人を見かけるようになった。
証券取引のコンピュータ業務には集団で派遣されてきてた人たちがいはったなあ。
テロ対策すら必要な環境だったのに外国企業の若者を集団で呼ぶなんて・・・
セキュリティに対する認識が今とは違ってたんだろうけど。
・・・そう言えば彼らはマンションを寮にしてみんなでまとまって生活してたっていうハナシを聞いたなあ。いつも静かだった彼らを思い出して徴用工っていう言葉がふと重なる・・・いやいやいや・・・!?

韓国ドラマが流行っても全然興味がなかったけど唯一、大好きになったのが チャングムの誓い 。

その後、韓国から仕事で来ている人と友人になってデート風なことをしたこともあった。
職場の同じ部署で一緒に仕事をした人もいた。

・・・と、戦争になりそうな雰囲気のなか彼らとの過去を振り返ってみた。
大陸的な所より"島"つながりで韓国の方がいいなって思ったこともあったんだけど。

戦争はゼッタイにしちゃダメ。
未来はだいじ。今もだいじ。
個人なら合わない人とは付き合わないで済むけど国同士、関係を断つわけにはいかない相手とどう向き合うか。
プライドと品位と知性を持って。
今までのこと、今起こってること、これからのこと、ちゃんと見ておこう。