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2018年7月2日月曜日

2018年 春夏わたしのコンサート

取り組んだのは1曲だけ。
ボザのイタリア幻想曲 (BOZZA,Fantagy Itariane)

試演会などを含めて人前披露は5回。
1回目と2回目を聴いてくれはった人から、2回目のあとに
「今日は良かったね(^^)」って。
はい、ワタシもそう思います…それくらい1回目はボロボロ・・・
弾いてくれはったプロのピアニストさん曰く
「感情が勝ってるネ」って。
はい、ワタシもそう思います…技術が気持ち追いついてない。
しかも卑怯なことにその稚拙な表現で技術の幼さを誤魔化そうとしてる。本番中に!

3回目は通ってる音楽教室の演奏会。
なんとフェニックスホール!
急遽決まった演奏会に間に合わせようと頑張りました。
だってフェニックスホール!!
舞台に立ってわかるホールの素敵さ。
客席ではわからなかった適度な響き。適度な照明。
真っ暗な客席を見て思ったこと…真っ暗な中に向かって吹くのは気持ちいいけど、真っ暗な中に向かって顔の見えない人たちに喋るのはヘンな気持ちだろうなあ…
そして3回目もワタシはごまかしながら吹いたのでした…

4回目は公開レッスン。
5回目は試演会。

4回目以降は私の企画。初プロデュース。
ここで学んだことたくさん。
企画/運営一般的なこともたくさんあるけど、音楽に関することでは

・ピアニストさんってタイヘン!凄い!
プロのピアニストにお願いして必要な方には一緒にアンサンブルをしてもらいました。
全部で6組9曲。
私の不手際もあってご迷惑をおかけしてしまったんだけど、それにしてもアマチュア相手に2時間近く弾きっぱなし。
みんなアマチュアだけど曲は小難しいのも多いし楽器もいろいろ、曲のタイプもいろいろ。
今まで
「ピアニストがいないと私たちは何にもできないしねえ」「さすがプロだねえ」
なんてよく聞いていたし私も言ってたけど、今までの言葉の軽さよ!
同じことを今も思うけど、今はその重みが全然違います。
そして「さすがプロ」っていう言葉はピアニストだけじゃなくて全てのプロフェッショナルに当てはまるし軽々しく思うことじゃないなあと。
ご本人たちが軽々とやってのけてるように見えることもその裏には私には計り知れない大きな努力と沢山の時間が費やされているんだろうと思います。
元々の才能云々だけでは決してない。
自分でイベントを企画して初めてそんな事に気がつきました。

・プレイングマネージャーであるということ
試演会での演奏はボロボロでした。
ピアニストさんが笑い出しちゃって
「後半だけでももう一回やりましょうか?」って言われたけど、無理。出来る気がしなかった。
それまでに何度か本番をしていてもう慣れてるはずなのになんでこんな事に…って茫然としてたらピアニストさんが
「参加者みなさんのお世話をしたり、運営をしながら自分の演奏をするのって集中するのが難しいですよね」って。
そう言えば、会場に一番乗りして次々来はる皆さんに「朝早くからありがとうございます」「迷われませんでした?」等々、笑顔で挨拶して回り、空調を気にして照明を調整してプログラムを配ってお金を集めて始まりの挨拶をして…そしてトップバッターで演奏。
笑顔で挨拶も気を配るのも当たり前といえばそうなんだけど、ふだんは無愛想だから自分では気がつかなかったけど気疲れしてたのかも。
演奏がボロボロだった理由のホントのところは分からないけどピアニストさんの言葉に救われた気がしました。
そして、演奏前の気持ちのあり方が大事だっていう事もよくわかった。
今までは参加者の一人としてお客さんみたいに大事にされてたんだなあ。

六回目
最後の本番。ハーブ園のホールで。
チラシもプログラムもプログラムノートも進行も全て私のやりたいように!
演奏だけじゃなくて全てが私。
演奏はやっぱりトップバッターだけど、試演会の反省があったから出来るだけ気持ちを落ち着かせて。
もうこうなるとここでの演奏の出来不出来は問題じゃなかった気がする。
この演奏会の全てがわたしの演奏。
(実際は空調の風で楽譜がめくれてピアノに1小節余分に弾いてもらったり、暗譜できてるのに楽譜にかじりつくように吹いてる気持ちがしてたり…いろいろあったけど)
もちろん当日になったら一人で何もかも出来るわけもなく、特に男性陣にはいろいろとお手伝いをしてもらって感謝!
公園に遊びに来ていた人たちで客席もいい感じに埋まって、参加者の人たちの演奏もみなさん素敵。
大赤字だったことを除いては成功。
そして、たくさんの人たちに助けてもらってはじめて自分のやりたい事ができるんだと心から思った素敵な経験になりました。