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2016年10月14日金曜日

平和堂財団芸術奨励賞受賞者による 第19回リサイタルの夕べ


高槻現代劇場中ホール
無料。

1週間に2回も高槻。
夜7時に高槻到着はなかなか厳しい…
だけど楽器を背負ってないと足がぐんぐん進む!
楽器を持ってるのが当たり前になってるからこの軽やかさがうれしかったよ。

そして演奏会。
良かった!特に打楽器。
打楽器の人はなんて身体がしなやかに動くんでしょう。
両腕ひらひら。
どんなに動いても頭から上半身の芯はまっすぐなのが分かる。
あー、こういうことか…
2台のマリンバでの曲は、舞台上で向かい合って演奏。
客席からは二人の真横の姿が見えてマレットの動きが楽しい。
音の粒そのものだワ。自分の演奏に繋がるいいイメージを感じました。

3曲目はアルトとソプラノ持替えのサックスも入って。
速いテンポで正確なリズムと正確な基本テクニック。
ああ……

アルトとソプラノを使ったのは単純に音域の問題かな?
持ち替えたあとも同じ楽器のよう。音色が変わらない。
ああ……

海外の有名奏者にはこういう事を軽々とやる人がいるけど、そうは見えない。
とてもしっかりとコントロールしているよう。
そこに奏者の強さが見える。感動はだからこそ。

二部は全曲2台ピアノで。
ショパンの幻想即興曲が良かった!
音がいっぱい。
この曲は高音が激しくてドラマティックだと思ってたけど違ったよ。
あの印象的な高音部分はとても抑えた感じ。で、低音がカッコイイ。
高音でカタルシスが無いせいか、風邪をひいて熱が出る前にある身体の中に熱がこもってる感じ。
パーッと発散したくてしょうがない…でも内側にこもったまま出てこない…
何とも言えない感覚が不思議。

そして、最後の日本唱歌の時に思ったんだけど、(多分)ペダルを使ってない音がとても個性的でおもしろい!

この頃、ピアノをよく聴くんだけど…いや、もうね、ペダル禁止のピアノが聴きたいのヨ…ワタシ。
ペダルを踏むとみんなおんなじ音になっちゃう気がする。
なんなら “イイ音” じゃなくてもいいから、その人の音が聴きたいワ。

で、打楽器で思ったコト。
響きよりも打撃の瞬間の音が面白い。

あ、ピアノも打楽器だった…

上手く言えないけど、どの楽器も発音の瞬間に個性が出て面白いよ。
いい響きを考えたいの分かるけど。 あ、ワタシのコトだ。
んー、もっと考えてみたい。

2016年10月11日火曜日

第17回大阪国際音楽コンクール グランドファイナルファイナル・ガラ・コンサート

高槻現代劇場中ホール

予定があったので、審査員のチャリティコンサートと、グランドファイナル二部の途中まで聴いてきました。

審査員の方々のプログラムは奏者や曲目が大幅変更になったためナシ。
理由…
「せっかく日本に来たので、自分の仕事が終わったら別のところへ行った」
「出国時に急病の為、飛行機に乗れなかった」
「ドクターストップがかかって渡航不能」

お年を召された方々なんでしょうか…

そしてグランドファイナル。
今年は子どもが少ない。プロはチラホラ。
多いのは大学生、それも日本の!

たしか去年は海外の学生は多いのに日本人学生が少なくて「大丈夫かしら…」って思ってたから一安心。

聴いたなかで一番好きだったのは、日本人高校生のソプラノ。
澄んだ若々しい声で、言葉も胸にジンときた。
いつかまた聴きたいワ。

他の日本人は演奏が終わったら精根尽き果てたって感じ…外国の人はタイヘンな曲でも余裕があるように見える。見えるだけな気もしなくはない。
どういう違いなんだろう?
私もああいうのを身に着けたいワ。
普段の生活にも生かしたい。なんでもないフリ。

放談
ときどき行く音楽のレンタルスタジオは、コンクールに出るためいろんな国から来た人たちが練習したはる。
数日前もそれらしき人と遭遇。十代の女の子。
そして同行者は…家族全員?もしかしたら親戚一同…?
空いている部屋に次々入ってピアノの鍵盤触りながら大騒ぎ…

今回の審査委員のコンサートでも、勢いがあり過ぎる拍手やフライング・ブラボーが客席からニョキニョキ。

こういうビックリは去年までなかった。
来年はどうなってるんだろう?
3年後、5年後は?
状況はすぐ変わっていくかもね。世界も経済も動いてる。
自分が、時間の移り変わりを実感できる年齢であることも興味深い。

2016年10月6日木曜日

グレゴリオ聖歌から近現代まで 教会音楽の千年記

フェニックスホール

グレゴリオ聖歌から20世紀の教会音楽まで。
前半古くて後半は新しいもの、というのはありそうだけど、古いものと新しいものを交互に演奏するというのもちょっと変わってる。
その意味についての説明もあったけど、基の知識がないせいかよく分からず…

そして、どれが1500年前の曲でどれが10年前の曲なのかも分からない!
不思議な響きでゾクゾクするような音の高低が過激で今風の現代曲みたいに思えるものが昔の曲で、ただひたすらに美しい旋律が最近の曲だったり。

そう、昔の曲は全部キレイなメロディだっていうのは大きな勘違い。
あの響きは誰か一人の人が作らはったんやろか?
みんなで声を出し合ってるうちに生まれたんやろか?
もしそうならそれはどんな場面?
声が重なった時どう思った?

私は宗教を持ってないからグレゴリオ聖歌や、仏教の声明に惹かれるのは宗教の有る無しじゃない…じゃあなんだろう?

演奏会の様子は…
始まりは客席後方から歌いながら入場。
8人程のユニゾンなんだけど、男女一人ずつしかいないみたい。
楽器を通してというのだと分かるけど…ああ、生身の人間の声もこんな風に揃うんだ!

衣装は真っ黒で修道士風。
円陣を組んだり、一見無秩序に立ってバラバラの方向を向いてたり。
過激な無言劇を観てるみたい。

ソプラノの人が2階席にいはった時は、舞台から真っ直ぐ上に上がっていく声と2階正面からの声が舞台の真上で一緒になったのが見えた気がした。
なんていう体験!

ただね、ちょっと話してる時間が長かったなあ。
演奏会の時間は音楽だけを聴きたいのヨ。
説明はプログラムに書いてほしいなあ。読むから。
読まない人もいはるやろけど。そういう人のために喋るのかなあ。その配慮いるかなあ…

あ、でも面白かったハナシがひとつ。
「ドレミという呼び方になったのは最近(1670年)のことです…」って。
京都人の台詞「この前の戦争…応仁の乱(1467年)」っていうのがあるけど(←そんなん言った事も聞いたこともナイ)古楽やったはる人もなかなかやるな。
500年前のことをつい最近のことみたいに言はる。
ほんで300年前のことを最新のニュースみたいに話さはる。