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2018年1月30日火曜日

エリック・スペレール スペシャルオーボエコンサート

ドルチェ・アーティスト・サロン

オーボーってなんて気品ある音なんでしょう。
バロックの無伴奏曲がとても良く似合う。
そしてピアノと一緒の曲ではどれもピアノが美しい。
そういう曲を選ばはったのかなあ。
とても素敵な趣味だと思いました。
私もこういう音楽がしたいわ。

そして、前の座席に座ってたら、目の前でくるくる回るオーボーに目が回りそうになりました。

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スマートフォンのケースと画面シールを交換。
シールを張り替えたら新品みたいにキレイになってうれしい。
でもずいぶん古い機種になってしまっていてAMAZONでもあんまり種類が選べなかったよ。
困ったもんダ。

2018年1月29日月曜日

マダムシンコのマシュマロクーヘン

レンジでチン!
上にかかったマシュマロが溶けてマシュマロクーヘンの出来上がり。

お店の人は顔つきもしゃべり方もみんないかにも"マダムシンコ" って感じ。
好き嫌いがわかれそうだけど分かりやすくてインパクトのあるユニークなブランディングに感心。

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74歳のカトリーヌ・ドヌーブがカトリーヌ・ドヌーブらしいコメントを出して
「久しぶりにカトリーヌ・ドヌーブの名前を聞いたなあ。いいなあ」
って思ってたら謝っちゃった・・・
カトリーヌ・ドヌーブが謝るなんて・・・!

"me too" じゃなくて "I am…" って言うべきだワ。
ワタシはそうしたいワ。
って思うからハミダシモノになるんだろうな。ワタシは…
いやまあ、ほかにも原因はあるだろうけど。

イベントのために人を集めたいと思ってるんだけどびっくりするくらい集まらなくて自分の人脈と人望のなさに反省しきりの冬です。

2018年1月22日月曜日

ある演奏会 2018年

1月の初めに行ったピアノとサックスの演奏会。
展覧会の絵やアルルの女、白鳥がプログラムにあったから楽しみに出かけました。
こういう曲がソロコンサートであんまり演奏されないのはなんでかな?
流行りじゃないからかな?
奏者にとって魅力がないのかな?
それとも………

そして・・・
コンサートはなんだか残念な感じだったよ…
思ったことは・・・
アンサンブルって大事。
ピアニストに音楽を伝えておくのって大事。
スムーズに演奏に入るために譜面台に置く楽譜の準備って大事。
楽器の調整って大事。
場所にあった音ってある。
大きな音って大事にしなきゃ。
なによりも音色って大事。

サックスは気を付けないと悲惨なことになる楽器。。。

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それから私は…ゆっくり丁寧に練習するようになりました。
全部の音が納得できる音で鳴ってるか?
スタッカートも低い音も。
なによりも大事なのは耳を澄ませること。

写真は今年の海遊館イルミネーション。
ダイナミック。

2018年1月18日木曜日

日本テレマン協会第247回定期演奏会

大阪市中央公会堂 3F中集会室

これこそオリジナル楽器で聴きたい!っていうプログラム。

1曲目のバッハでは、明確な強弱がおもしろくて速いところの疾走感もすてき。
現代楽器で大きなホールでは大仰になりそうなのがオリジナル楽器だととてもしっくり耳に入ってくる。
オリジナル楽器大好き。

モーツァルトでは、ソロでバイオリンとヴィオラが前に出たはったけどヴィオラだけがモーツァルトのリクエストで半音低いチューニングだそう。
なんとも面白い音。
不思議で面白いと思えるギリギリのところで鳴ってる感じ。
思いついたモーツァルトとソリストのテクニックがすごいってことネ。

そしてこれに興味を持って出かけた "太鼓連打" 。
オリジナル楽器といえどもティンパニの独奏は響きが大きくて迫力がありました。
そして迫力があり過ぎないのがオリジナル楽器の好きなところ。

テレマン協会の演奏会は期待通り今日も素敵でした。

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Broadchurch っていうイギリスのドラマ
面白い!
海外ドラマはアメリカのものばかり観てるけど、イギリスの俳優さんって上手いワア。
言葉が分からないのに上手いって思うのはなんでやろ?
そう…イギリスの英語は全然わからへん…
なんか カクカク してる…
分かる単語が一つもなかったりする…

アメリカ英語の滑らかさ…というか言葉の繋がり具合の方が難しそうなものなのに。不思議だワ。

2018年1月9日火曜日

'Nijinsky' Hamburg Ballet

ニジンスキー ハンブルク・バレエ団
ハンブルク国立歌劇場
テレビの録画。

なんて素敵!素晴らしい!
ほんの少しの小さな動きで気持ちが表現できるんだ!指先を少し動かすだけで!

こんな風に表現できるっていうことに感動したけど、このバレエを観た人はみんなその指先ひとつの動きに心を動かされたはず。
っていうことは、人の気持ちがわからない人、鈍感な人なんていないんだ、きっと。
だって普段の私たちはもっといろんな表現をしてるはず。
そしてそれを客席はテレビ画面の前じゃなくて、リアルな当事者として向き合ってるんだから。
"自分は感受性が豊か" "自分は敏感で繊細" "よく気がつく人、そうじゃない人"
そんな違いなんてないんじゃないかって、ふと。

卓越したものに感動するだけじゃなくて全ての人に敬意を持って接しなければ。
いつもいつも謙虚に。

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紅マドンナ。
ずいぶんな高級品らしいけど、知り合いから安く譲ってもらいました。
この頃の味が薄いおみかんとはえらい違い。
実家に送ったらみんな喜んでくれました。うれしいな。

2018年1月7日日曜日

小原孝ニューイヤーコンサート


素敵なピアノ演奏を近くで聴いてみたいなあって思って行ってきました。
特にピアノの粒を感じてみたかった。
プロのピアニストが本気で演奏するピアノだけの演奏会っていうのにも行ってみたかったし。

いや…もう…粒を感じるどころか…もう…もう…もう、なんて素敵!!!
アベマリアの最初の小さな小さな一音のなんて美しいこと!
いやいや、小さな音が美しいのは他の曲も全部。
ほんとにほんとになんて美しい音なんでしょう!
そしていつの間にか大きな響きになってる。
いつの間にクレッシェンドしたんだろう?
大きな音がこんなにも品がいいなんて。
メロディの移り変わり、音の移り変わり全ていつの間にか…

胸が苦しいことに気がついたけど、音楽が胸を締めつけられたからなのか、息をするのを忘れてたからなのか…
もう本当に音楽に心を奪われた時間でした。
女性の素敵な音楽は心が開放されて、男性の素敵な演奏には怖いくらいに圧倒されるって思っているんだけど、今回もほんとうにほんとうに!!

アンコールはラベルのボレロでした。
ピアノ一台で。一人で。
どんな風になるんだろうと思ったけど、一人でやるボレロのなんて芯が通ってること!
一本の線がピーンと通ってる。
一人のボレロありやん!!

弾かはる前に
「ボレロのリズムは子ども達の未来への足音です。皆さんの一年が素敵な年になるよう願って弾きます」って。
"子ども達の未来への足音"
そういうものだったのか!?
聴いてたらほんとに明るい未来が来るような気がしたよ。
聴いてるうちに去年の秋ごろから抱えてる懸念事項にも自分の取るべき姿勢が定まってきた。
音楽を聴いてこんな風に思うなんてほんとにあるんだ…
ありたい自分である為には…正解はわからないけどスッと背筋が伸びる気がしたよ。
ありがとう。

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ピアノとサックスでは音の出る原理が違うけど…
大きな音でも品よくするには…、音が聴こえてる間は最後までその響きに責任を持たなくちゃ。
ピアノを打鍵したあとの響きもコントロールされてる感じ。
ピアノでそんな事ができるのか、できるならどうするのか分からないけどサックスは出来る!出来るんだからやらなくちゃ。
野放図に響かせないでコンパクトに。

そしてなぜ大きく響かせるのか、どうしてクレッシェンドするのか。
考えてるつもりだけどまだまだ足りない。
時々、クレッシェンドし過ぎて自分でもびっくりするような音になったり、どれくらいのフォルテにすればいいのかピアノにすればいいのか分からなくなったりするのは考えきれてないからダ。
考えてるつもりでも、結局納得いく答えがないままとりあえずやっちゃってる事が多いじゃないか。

良く知ってる曲ばかりの演奏会。
でもどれも今まで聴いたことのないような素晴らしさ。
音が美しい、どの場面のどの音も存在感と意味がある。

出す音をコントロールしなくちゃ。気を抜かない。
考え抜かなきゃ。いい加減にしてほっておかない。

自分の事を思うと野放図という言葉がピッタリだワ。
"ずうずうしい" "横柄な" "程度に際限がない" "しまりがない"
いやあ!

2018年1月6日土曜日

氏神さま


元旦に実家に帰るのは久しぶり。
氏神さまに初詣。

秋に祖父母の家の近くの梨木神社に行ったときに、鬱蒼と気が生い茂っていて暗いイメージだった昔と比べてずいぶん明るくて隅々まで清潔に整えられていることに驚きました。
母は
「こんなにきれいになったのを、おばあちゃんに見せたかったなあ。長生きしてこういうのを見なあかんなあ」
って。

こちらの氏神さま然り。
小さなお社がたくさんあるんだけど、そこに行く道は昼間でも暗くて細くて。
覆いかぶさるように木が茂って足元は積み重なった落ち葉でいっぱい。
獣道のような先にあるお社はどこもちょっと怖かった。
そんなイメージだったのが、あらびっくり!
いい具合に剪定された木の間から青空が見えて明るいし足元も広くて歩きやすい。
どこも清らかに整えられていたのはお正月だからだけじゃなくてたぶん普段からなんだろうなあって。

廃れていくことなく、また、良かれと思った新しい試みが裏目に出ることもなく良い変化をしていることがとても嬉しい。

老いていく両親と過ごす時間はあとどれくらいあるんだろう。
私はあとどれくらい生きるんだろう。どんな風に生きるんだろう。
既に後半過ぎた人生、もういろいろ予測できる気がするけど、それでもまだいろんな事を空想をして半ば本気で夢見てる。
さて…

写真は神社裏手の道場で初稽古中の小中学生。
そして、大きな山茶花の木。

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おせち料理は"三千院の里"っていうところのお重。
小さくて可愛いいお料理がいっぱいで楽しく頂きました。

私が小学生のころまで、祖父母の家では金屏風の前で銘々膳のお正月。
両親と兄弟だけでマンションで過ごすお正月も、元旦は普段のテーブルじゃなくて畳の部屋でお屠蘇と年末から母と一緒に準備したおせち料理。
たくさんの親戚ひとりひとり、夫婦同士、兄弟同士でも手をついて新年の挨拶。
朗々と歌い上げる百人一首で白熱したり、凧揚げで走り回ったり、デコラティブな飾りの羽子板で羽つきもした。

年とともに一つ一つ消えていって気がついたらぜーんぶ無くなってる。
ウチだけかな?よそはもうちょっとやったはるんやろか?

初詣の帰りにお散歩してたら、門松やしめ縄、国旗を出したはる家の少ないこと!
車にしめ縄したはるのなんて皆無やね。
そういうウチは国旗だけ…

お正月の準備はめんどくさいことこの上ない。
特にお料理。
私が家庭を持っててもゼッタイやってへんやろな。
でもきちんとした挨拶(おざなりじゃないヤツ!)とお正月飾り、お正月遊びはやりたいなあ。
叔父さん、叔母さんたちは懐かしがってくれるかも。来年は用意しようかな。