"崩れ"について考えることがたくさんできたけど、そもそも書かれてある一文一文が心にしみて一行一行をゆっくりゆっくり繰り返し繰り返し読んだよ。
そして、私が見た数年前の大山の枯川、あの恐ろしいと感じた景色、あれは本当に恐ろしいものだったんだ、あれが崩れだったんだとまざまざと蘇った。
グッときた文章
[弱いところが崩れる、そして巨大な土石流になる
弱いが巨大な暴力になる]
[人と連れ立つ、とはこういうことかと知らされた。労力も心づかいも技術も、すべて惜しみなく尽くすのである。]
[武蔵野の雑木林は近代になって国木田独歩が美しいと書いたことで(風景に言葉を与えたことで)風景として立ち上がった。同じように幸田文は崩れというこれまで文学者がほとんど気がつかなかった風景の発見者になった。私たちは今後、幸田文の言葉を通さずに崩れを見たり語ったりすることはできないだろう。]
[季節の継ぎ目は、いつも興ふかい天候になる。これかれ来る季節と、もう消えていこうとする季節が、往きつ戻りつ混じりあう。そうしながらも結局は、来るものは来、去るものは去って、季節は巡っていくのだが、去るものは名残を惜しんで、ふり返りふり返りしながら行くように見えるし、来るものは去るものへ遠慮して、どっと一度に押し入ってくるようなまねはしないというように見え、]
[もともと道は一歩一歩の点々が踏み固められた故に出来た線なのである。]
[気づかないということはそこから教訓を得られないということ。何度でも繰り返す]
[集まること、離れること、かたまりであること、散らばること]
恐ろしい崩壊の跡、それは弱さに起因している、というのを読んで、自分の弱さを思い悲しさが押し寄せてきたよ…
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雨続きの日々だけど、何年か前にマンションの外壁の塗り替えがあってそれから雨の音が聴こえなくなった気がするよ。暑さ寒さの感じ方やわらいだけど、雨音が聴こえないのはちょっと寂しい。
下の写真は梅雨頃に撮った紫陽花。


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